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学者の良心と学問の作法について

——羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』の山本七平賞受賞に想う——

 

『図書新聞』2004221日号、228日号掲載(転載承諾有)

雀部幸隆

 

[以下、2004221日号]

(一)「犯罪」とは穏やかでない

 『Voice』本年1月号誌上(一九四ー二○一頁)で羽入辰郎が第十二回「山本七平賞」を受賞したことを知り、その事実、選考会各選考委員の選評および羽入本人の「受賞の言葉」を見て、筆者は一驚を禁ずることができなかった。

 受賞対象となった著書は『マックス・ヴェーバーの犯罪——『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊——』(ミネルヴァ書房、二○○二年九月,以下羽入書と略称)である。『倫理』論文とはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。

 そもそも「マックス・ヴェーバーの犯罪」というメインタイトルからして穏やかではない。すくなくとも世界的に知られた学者や思想家にたいする論難の書として、かつて「何某の犯罪」、たとえば「カール・マルクスの犯罪」とか「カール・シュミットの犯罪」」などと銘打った著作が世に問われたことがあるとは、筆者は寡聞にして知らない。

 そうしたタイトルの著書がなぜないのか、その理由はともかく、いや、その理由などというものを筆者はこれまで考えたこともないのだが、それは措く。

 いずれにしても「犯罪」という言葉は、広義には社会倫理的に当罰的行為を指すが、そのさい直ちに可罰するのは誰か、その可罰の妥当性をいかに保障するかが問題となり、どうしても、法益の侵害、一定の法的義務違反としての可罰的行為という意味での特殊刑法学的概念と結びつき、そうした刑法上の概念と切っても切れない関係にある。そうすると、何某の「犯罪」などと言うと、その犯罪の「構成要件」は何か、「違法性」は、「有責性」は、それから、その「犯罪」なるものをいかなる手続きにもとづいて、どの法廷で、誰が裁くのかなどと、一連の厳密な規定を要する事柄が直ちに問題となる。そうした諸問題をきちんとクリヤーし、またクリヤーする見通しが立たないと、そう安直に誰某の犯罪を告発できないのである。しかも告発したとて、然るべき機関(検察当局)によってその告発が取り上げられて起訴がなされ、さらにその起訴にもとづいて然るべき機関(法廷)において審理され判決が下される保障はない。大体、羽入はみずからの案件をどこの「法廷」に持ち出そうというのか。もちろん氏の意図としては、「言論の公共空間」にということでもあるのだろうが、それなら、いかにセンセーションをねらったとしても、「犯罪」などという日常語としても刑法上の概念と深く結びついた不穏な言葉を軽々に用いるべきではない、それも著書のメインタイトルに麗々しく掲げるべきではないだろう。

 

(二)授賞選考会の見識を問う

 ところで、羽入書のタイトル「マックス・ヴェーバーの犯罪」の「犯罪」が不穏当なものであることに関しては、今回の山本七平賞選考会の一メンバー加藤寛によっても意識されてはいる。氏はその選評において、「もっとも『犯罪』という題名は語感が強すぎる。これは羽入氏の気持ちからすれば『詐術』というほどの意味であり、これは出版社の売らんがための『犯罪』というべきか(?)」と述べている(『Voice』前掲一九五頁以下)からである。「犯罪」という題名を付けるにあたってイニシアティウ゛をとったのが羽入であったのか出版社であったのかは知る由もないが、いずれにしても羽入は現にその題名で自著を公刊したのであるから、かりに「出版社の売らんがため」の戦略に彼が従ったとしても、彼も——道義的には——同罪である。とするならば、題名の不穏当さを若干意識するメンバーがいながら、そのメンバーをも含めて、そうした題名の著書に賞を授けた第十二回山本七平賞選考会もまた、羽入および出版者の「売らんがための犯罪」に和し、その少なくとも道義的「犯罪」を助長する道義的な罪を犯したことになる。

 大体、「マックス・ヴェーバーの犯罪」というおどろおどろしくも不穏な題名を掲げて、その実、ウェーバーの「知的誠実性」(と羽入の解するもの)の崩壊——ウェーバーは「詐欺師」である(羽入書二、一九一、二七四頁)——というただ一点の全くネガティウ゛なことを「論証」するだけで、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に関するウェーバーの基本テーゼの当否の判断や、その基本テーゼを超える歴史的新知見の追究などのポジティウ゛なことには一切関心がない(同上九頁)などと開き直る著書にたいして、どのような賞であれ、賞を授けるというのは理解しがたいことである。

 選考会の選者たちは、羽入の著書が「聖マックス」崇拝の息の根を止めたその功績をたたえる、というのであろうか。しかし、「聖マックス」崇拝なるものは、今を去るほとんど四○年も前、一九六四年東京大学における第一回『ヴェーバー・シンポジウム』前後の一時期にウェーバー研究の内外で一部に見られた現象なのかもしれないが、そんなものは今日つとに地を払っている。「聖マックス」の「脱魔術化」などというものは、「遅れてやってきた青年」のアナクロニスティックな独り相撲の課題でしかない。

 ちなみに、選者の一人中西輝政は、今回の羽入の著書を読んでウェーバーもやはり「人の子」だという感慨を持ったとして、次のように述べている。「[マリアンネ]夫人の書いたヴェーバーの伝記を読んだときよりも本書を読んでヴェーバーをずっとヒューマンな存在に感じたものである。やっぱり彼も『人の子』ということである。」(『Voice』前掲一九七頁)

 ウェーバーが「聖マックス」ならぬ「人の子」だというのは、羽入書を俟たずとも、当たり前の話である。ほかならぬマリアンネ夫人の『伝記』によれば、一九○七〜○八年に或る若い友人に宛てて書かれた手紙の中で、ウェーバー自身、みずからがまさしく「人の子」であることを、別の文脈からではあるが、告白している。「・・・お分かりいただきたいのですが、わたしが『罪』の何たるかをわきまえている人にたいしてあえて道徳をふりかざさないのは、それなりの理由があるからです!・・・実際のところ、わたし自身が『悪事』の最たるものを犯しています。・・・・もし『完徳の生活』(integer vitae)を送る者しか完全な人間に(zu Vollmenschen)成れないのだとしたなら、これは困ったことでしょう。・・・まあ、そんなことにでもなれば、さしずめわたしなぞは完全な人間に成ることなど、のっけから諦めねばなりますまい。」(マリアンネ・ウェーバー『マックス・ウェーバー』みすず書房、一九六五年、298頁、強調は原文、訳文は変えてある。)

 あるいは選考会の選者たちは、マックス・ウェーバーを「近代主義」の巨頭と見立てて、やはり羽入書がその巨頭の立脚する「砂上の楼閣」(選者の一人山折哲雄の言葉、『Voice』前掲一九七頁)を突き崩すことによって、「近代主義」の巨頭の化けの皮を剥ぐのに大きく貢献した、というのであろうか。これまた見当はずれの見立てにもとづく見当はずれの評価である。

 たしかに今を去る何十年も前、マックス・ウェーバーは、一部の論者たちのあいだで「近代主義」の権化と見なされたことがある。ただし、そうした評価はむしろウェーバー批判者たちの側からなされたレッテル貼りの面が強かったのだが、先ほどの「聖マックス」崇拝とも関連して、当時ウェーバーを持ち上げた論者たちにそうしたレッテル貼りに根拠を与える言辞がなかったわけではない。しかしウェーバー研究の驥尾に付している筆者などは、かつても今もウェーバーを「近代主義者」だとは考えていないし、すくなくとも今日、ウェーバーとまともにかかわろうとする者のあいだで、彼を「近代主義者」と考える研究者はむしろ数少ないだろう。

 だが、さらに重要なことは、選考会が、すでに二○○三年四月の時点で、羽入の著書にたいする厳しい批判が折原浩によってなされている(東京大学経済学会編『季刊経済学論集』第六九巻第一号七七八二頁所収の羽入書にたいする書評「四疑似問題でひとり相撲」)にもかかわらず、それを無視し、その批判と羽入の著作内容との照合という、およそ授賞選考にさいして欠くべからざる手続きを踏まずに——すくなくとも今回の選者たちの選評からはその形跡は窺えない——、羽入に賞を与えたことである。その後折原は、二○○三年一一月には『ウェーバー学のすすめ』(未来社)を、二○○四年一月には『未来』誌上に「学者の品位と責任——『歴史における個人の役割』再考」を公表して、羽入批判をさらに詳細に展開し、とくに『ヴェーバー学のすすめ』においては、羽入への反論の域をはるかに超えて、ウェーバーの人と学問における『倫理』の位置と意味、その定点観測からなされる『倫理』のあるべき解釈、『倫理』と並行し前後するウェーバーの科学方法論諸論稿との相互関連に関する考察、『倫理』以降「世界宗教の経済倫理」への展開の展望等の諸点において、管見するところ、内外のウェーバー研究においてそれこそ新機軸を開く自説を積極的に展開している。ぜひ参照されるべきである。

 選者の一人山折哲雄は、先にも引いたとおり、『倫理』の立論はたんに「砂上の楼閣」でしかなかったのだが、ウェーバー「巨人伝説」にとらわれて誰も敢えて突き得なかったその虚像を、今回羽入が一気に「突き崩した」と述べている。氏は、「ヴェーバーが営々として築き上げた輝かしい理論的な支柱がじつはたんなる砂上の楼閣であった」(『Voice』前掲一九七頁)ということを、いかなる論拠にもとづいて揚言するのか。また、そうでないゆえんを力説した折原論文を、かつて『ヒンドウ−教と仏教』の一部を翻訳したこともある氏は、一体どう見るのか。

 また、養老猛司は、今回の選評において、「仮に著者の論考が誤りであることを証明したいなら、同じ手続きを踏めばいい」としたうえで、しかし「評者にはもちろんそんな暇はない。したがって当面、それがいかに破天荒なものであったとしても、著者の結論を素直に受け入れるしかない」と述べている(同上一九八頁)。「もちろんそんな暇はない」のなら、養老は、自身、ひょっとして「破天荒なもの」であるのかもしれないと思う「著者の結論」を、なぜ、「したがって」「当面」「素直に」受け入れることができるのか。選考委員に名を連ねるからには、せめて選考の時点ですでに公表されている『経済学論集』誌上の折原論文と羽入の著書とを突き合わせてみるという「暇」をつくるべきではなかったか。

 

[以下、2004年2月28日]

(三)羽入の「受賞の言葉」の無恥厚顔さ

 しかし、なんといっても看過できないのは、「受賞の言葉」に見られる羽入の「悪のり」ぶりとしか言いようがない言辞である。

 もともと氏は、その著書の「はじめに」で、「トイレに本を持ち込む癖」があり、たまたま「中島らも」や「池波正太郎」を読み尽くしたあと『倫理』の岩波文庫版をトイレに持ち込んだ「女房」の指南を受けてこの本を書いたなどと、臆面もなく述べていた。それにたいして選考会のメンバーも、「バカも休み休み言え」と唾棄するのではなく——昔の日本人ならそうしただろう。選考会には、最近『国民の文明史』(産經新聞社)を書いて新渡戸稲造の『武士道』や内村鑑三の『代表的日本人』とそれらの著者たちのエートスに讃辞を惜しまない中西輝政も加わっているはずである——、「どんな小説も顔負けの鮮やかな導入部」だ(竹内靖雄、Voice』前掲一九六頁)とか、そうした「奥さんのコメント」などの「付帯的なエピソードが生きる。『読む本』としてたいへん面白く、よい作品になったのは、そのためであろう」(養老猛司、同上一九八頁)などと調子を合わせていた。その反応に気を良くしたのか、今回、羽入は「授賞式」で「女房」の寄与への自画自讃をさらにエスカレートしてみせる。

 まず、氏は「『受賞の言葉』を用意するようにいわれていたわけですが、ほんとうをいうと皆さんが私からお知りになりたいことは、じつは一点でしかない。お前のとこの夫婦はいったいどうなってるんだ? どういう共同作業をやってるんだ? お前の女房はいったい何者なんだ? と。」(同上一九九頁)と切り出したあと、自著の「はじめに」は「一○○パーセント私の文章」(同上)だが、すでに「この鋭い——と本人が言う[引用者]——攻撃的な『序文』」となると、誰が書いたか「難しくなる」と述べ(同上)、以下のようにその楽屋裏を得々と開陳してみせる。「まず大雑把なところで女房が口述します。私はそれを、そこらにある小さな紙切れに筆記していくわけです。途中で女房の思考の糸が切れてしまったら、また別のことを口述します。四、五枚になったあたりで、『じゃ、打ってみる』と私がい」い、そうした断片をとにかく「論理的に繋がるようにして、私の文章も入れてみて・・・大体なだらかな文章にして・・・それをプリントアウトして、女房のところへ持っていきます。すると『あら、うまく繋げたわねえ』とかいいながら、また書き込んでいきます。書き込まれたものをまたなだらかに入れてしまい、私の文章もさらに足していき・・・こうして・・・誰の文章か分からない文章が出来上がってしまいます。」(同上一九九頁以下)

 このあと、この調子の話がさらに続くのだが、簡単に切り上げるとして、羽入書の本論部分はどうかというと、「3章・4章は修士一年のとき、私が自分で見つけたテーマ」だが、「1章・2章は、・・・女房のトイレでの発見」に負う、という(同上二○○頁)。

 さて、ことほどさように、「女房」の「勘」、「発見」、「口述」、「書き込み」に負うところ多大な著作ならば、羽入はその著著を羽入の単著としてではなく、すくなくとも「女房」との共著として出すべきであっただろう。なぜそうしなかったのか。「女房はドイツ語は全く出来ない」とのことだが、まさかそのことが憚られたわけではあるまい。その理由は知らず、いずれにせよ、その著作が成るにあたって内容的に貢献多大な「女房」と名を連ねることなしに著書を公刊した羽入は、当の「女房」を含めて公共の言論空間にたいして、まさに「知的に不誠実」であるとの誹りを免れないだろう。

 もし何らかの理由で羽入が自著を「女房」との共著として出すことを憚るのならば、羽入は、こともあろうに、その著書の授賞式で痴話めいた楽屋裏話を得々と開陳すべきではないだろう。それは学者の——いや普通の人間の——作法に反する無恥厚顔醜悪の言辞というほかはない。そうした発言は酒席での酔いにまかせた言辞としても、まともな大人のあいだでは顰蹙を買うだろう。

 だが、さらに看過できない重要なことがある。それは羽入が折原のいう『倫理』の本論部分に自著が論及しなかった弁解として持ち出している理由である。  羽入は、この時点で、氏のウェーバーにたいする「犯罪者」「詐欺師」としての断罪は『倫理』本論に全く立ち入ることなくその冒頭部分、それも多くは脚注を対象にして——しかも「視野狭窄」に陥り、「恣意的」な「証拠選択」をして——なされているにすぎないという、折原の『経済学論集』誌上の批判(同上七七頁)を明らかに意識して、次のように開き直った弁明をしている。「『倫理』論文全体の初めのほうでこの本の論証が止まってしまっているのは、それがひとえに女房が岩波文庫を放り出してしまい、『馬鹿と付き合うのはもうたくさん』といって、それ以上読んでくれなかったからです。」(同上二○○頁)

 これは、およそまともな良心と良識をそなえ、学問の作法をわきまえた学者の口にすることではないだろう。筆者は羽入の「受賞の言葉」のこの箇所を読んで、わが目を疑った。そして羽入のこの悪ふざけと悪のりをそのまま放置しておくわけにはいかない、と思うにいたった。

 そのまま放置しておくわけにはいかないと思ったのは、羽入の無恥厚顔ぶりに胸の悪さを覚えるその限度に達したからでもあるが、それ以上に、「ドイツ語の全く出来ない」移り気な「女房」の不遜で恐い者知らずの攻撃的な言動を引き合いに出すことによって、羽入は折原の批判にまともに応えることを拒否する、折原の批判を無視する、挙に出ていると見たからである。そのことは右の発言にすぐ続く次の文章を見るとよく分かる。「今後の予定はどうかと申しますと、本来は『倫理』論文の第二部——つまり本論[引用者]——に入っていって、女房にも読んでもらって、そこでの論証の是非を調べていかねばならないのですが、いま青森の看護系の新設大学におりまして、文科系の資料がまったくありません。いまの段階では、したがいまして、これ以上『倫理』論文の研究自体の領域を広げるのは無理だと思います。」(同上二○○頁以下)

 つまり、羽入は、折原が、羽入批判のごく初歩的なことの一つとして、ウェーバーに関して「犯罪者」などというとんでもない全称判断をくだすには、本来なら『倫理』だけに視野を限っていても駄目なのだが、せめて『倫理』の本論に立ち入ってその全論証構造を的確に押さえたうえで物を言え、と述べているのにたいして、そのつもりがない——それに「馬鹿と付き合うのはもうたくさん」とのたまう「女房」を説得するのにも骨が折れるだろう——ことを表明しているわけである。「青森の看護系の新設大学」にいて「文科系の資料」がないなどというのは、理由にはなるまい。

 もっとも、羽入はそれでも折原による批判は気になるらしく、「その代わり、と申しては何ですが、専門の研究者の方々にお願いして、私のいままでの論証がほんとうに正しかったのか否か、もう一度厳密に確かめるための研究会を始めています」と述べてはいる。「専門の研究者の方々」というのは、おそらくルター研究その他のキリスト教史関係や聖書の各国語への翻訳の歴史、さらにはフランクリンとその周辺の思想史を専門とする研究者たちだろうが、そうした専門家たちの教示を仰ぐことももちろん重要だが、折原の羽入批判はすぐれてウェーバーへの内在、もっと視野を広げた、ウェーバーの全論証構造の理解に則した、内在の問題とかかわる。もともと羽入は独自な歴史研究にもとづきウェーバー・テーゼにたいして積極的に異説を立てたりすることには関心がないわけであるから、ウェーバーを犯罪者扱いにし、その「知的誠実性の崩壊」を揚言するのなら、折原の批判を正面から受け止め——折原は羽入にたいしてそうしている——、ウェーバーに内在して反論すべきだろう。いまでは折原は『経済学論集』への寄稿論文だけでなく『ヴェーバー学のすすめ』ほかの論著を公表して、羽入への批判と折原自身の『倫理』解釈をさらに深め、羽入が実のある反論を発表するなら応答すると確約しているわけであるから、なおさらそうである。なにしろ羽入はウェーバーを犯罪人、詐欺師として断罪するという前代未聞の挙に出たのであるから、それにたいする折原の反論にたいして、岩波文庫本『倫理』の初めを読んだだけで「馬鹿と付き合うのはもうたくさん」などといって本を放り出してしまう「女房」の袖に隠れたりしないで、まともに応答する義務があるだろう。